ここにこの人あり

アートで「障害」を「違い」に変える
「障害者だって同じ人間だ」を胸に

障害のあるアーティストの作品をさまざまな形で世に問う。「障害」は個性の「違い」に過ぎないことを示し、社会の見方を変えようと、3年前に株式会社ヘラルボニーを双子の兄弟崇弥たかや氏と設立した。障害のある4歳上の兄翔太氏への偏見を正したいとの思いが原点だ。
広報誌「日本公庫つなぐ」24号でもご紹介しております。

株式会社ヘラルボニー 代表取締役副社長 松田 文登氏

株式会社ヘラルボニー 代表取締役副社長
松田 文登(まつだ ふみと)

大手建設会社で被災地の再建に従事、その後、双子の崇弥氏(代表取締役社長)と共に株式会社へラルボニーを設立。4歳上の兄翔太氏が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に、福祉領域のアップデートに挑む。ヘラルボニーの営業を統括。岩手県在住。日本を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」受賞。

松田文登氏の取材は堅苦しいものになるかなと思った。文登氏が双子の兄弟崇弥氏と創業したヘラルボニーは、主に知的障害のある作家のデザインを生かして、ネクタイ、傘、バッグなどのさまざまな商品を作り、世の中に根強く残る「障害」への否定的なイメージを変えることを目指している。

事前に「『障害』という表記について」という文書をいただいた。「なるべく避けたい表現」という一覧表に「障害者アート」がある。「"障害"がアートのカテゴリーとして強調され、差別的な表現につながるため」という。

しかし取り越し苦労だった。岩手県盛岡市の本社で会った文登氏は、こちらの話を「確かに、そうですね」「なるほど」と相槌を打ち、よく聞いてくれる。持論をとうとうとまくしたてるようなタイプの人ではなかった。

代表取締役副社長の文登氏は、双子の弟で同社長の崇弥氏、JR東日本の社長ら2人と、政府の「日本オープンイノベーション大賞 環境大臣賞」を2021年2月に共同受賞した。駅の工事現場の仮囲いを、知的障害のある作家の作品を大きくプリントした布で彩る。展示後、作品を裁断してバッグに加工して販売するという取組みが評価されたのである。

30歳の文登氏と崇弥氏は、障害福祉アートの世界では突出した存在である。同社は2022年6月期決算で前期比約1.5倍の売上を見込むが、「まだ3年ちょっとですから」と文登氏は謙遜する。

ヘラルボニーの作品をデザインしたアートボトル

実は取材に備えてヘラルボニーのホームページを見て、目から鱗が落ちた。同社が契約している作家の作品は、非凡な個性がそのまま魅力的なアートになっていて、認識を新たにした。

本社にあるギャラリーでは、12月26日まで開く「早川拓馬展」の準備が終わっていた。文登氏の案内で見た作品がこれがまたすごい。いろいろな電車を細かくびっしり書き込み、その中から人物の絵が浮かび上がる。

「早川さんは三重県の方で、いろいろな賞を取っていて『障害』うんぬんよりも、まず早川さんの『個性』が伝わって、見る人の『障害』に対するイメージが変わればいいなと思います」と、文登氏は早川展の狙いを語る。

今の仕事に文登氏が双子の崇弥氏とともに乗り出すきっかけは、「障害福祉アート」との出会いだった。花巻市に、障害のある人たちの作品を展示する社会福祉法人光林会の「るんびにい美術館」がある。6年前、同館を訪ねて感動した崇弥氏が、興奮とともに「何かやれないか」と文登氏に持ちかけた。
「私も見に行って、すごい、これだと直感しました」と文登氏は振り返る。

ヘラルボニーの作品をデザインしたアートボトル

るんびにい美術館のアートディレクター板垣崇志氏はこう評する。「文登さんも崇弥さんも人柄は穏やかですが、2人とも内に秘めたものは非常に熱く、こうと決めたら一心にやり遂げます」

文登氏を突き動かしているのは、障害のあるアーティストへの「リスペクト」つまり敬意ではないだろうか。これには自閉症と知的障害のある4歳上の兄翔太氏の存在が影響している。文登氏が小学校4年生の時の「障害者だって同じ人間なんだ」と題する作文に「お兄ちゃん」について「すごいなあと思うことがあります」と書いている。

「抜きんでたところがいっぱいあるのです。何時に何をやるかルーティンをきっちり守ります。寝るのも、時計を見ていて23時59分59秒になった瞬間に寝床に向かう。大変なこだわりがあって、それも才能だな、すごいなと小さいころから思っていました」

子供の素直な目で見れば、翔太氏は自分にはない「偉才」を持つ仲の良い兄であって、今もそれは変わらない。だから文登氏には障害のある人に対して「同情」も「さげすみ」もない。小4時代の作文の題名そのまま「同じ人間なんだ」という感覚なのである。

だが中学生になると、周囲の目への悩みは深まる。学校では自閉症スペクトラムを略した「スペ」という言葉が使われていた。何かミスすると「おまえ、スペだな。支援学級へ行けよ」と言われる。「バカにされるのが嫌で、大好きなのに兄の存在を隠したいと、自分の弱さから思うようになって...」と、文登氏は当時の葛藤を語る。

解決策は意外なものだった。「人を『スペ』と言っていたのは不良っぽいグループでした。彼らと仲良くなれば言われなくて済むと思って、私たち双子はその仲間になったんです。中学3年は授業にほとんど出ていません」

両親は何とか高校に行かせようと必死だった。卓球を続けていたので、遠く離れた卓球の強豪、県立大野高校に進学し卓球部に入った。坊主頭になって秩序が厳しい運動部でたたき直された。「それまでの友達を含めて全てリセットできて、おかげで更生できました」と笑う。

「中学では、反発していた差別側と一緒になってしまい、人格破綻のような時期があったわけです。あのままいったら、ヘラルボニーはなかった。高校が私たち双子にとって人生の転機でした」。文登氏は淡々と語るが、10代の少年にはすさまじい体験だ。

大学卒業後、文登氏は地元に戻るため岩手県の大手建設会社に就職、崇弥氏は大学の恩師が経営する広告企画会社に就職して東京に出た。2人が合流してヘラルボニーをつくるとき、周囲には「非営利」を勧める声もあった。しかし「最初から株式会社で挑戦しようと決めていました」と文登氏は言う。

左から双子の兄の文登氏、4歳上の兄の翔太氏、双子の弟である崇弥氏

兄翔太氏が1日かけて作った革細工がわずか500円で売られているのを見て納得できなかった。従来の障害者就労支援の枠を破って、「作品が正当に評価されて、作家が創作活動を自由に続けられるようにしたい」と考えた。今やインテリアへの進出も計画中で、正当な評価への道は開かれつつある。

「もしも兄がいなかったら、障害のある人たちに関心がなくて、差別する側にまわっていたかもしれない」と文登氏は語る。営業統括などを担当する文登氏とクリエイティブ統括を担当する崇弥氏はいいコンビだ。「普通の兄弟だと上下ができますが、私たちは一卵性双生児なので、生まれた時からフラット。何でも言い合える。社長、副社長と一応なっていますが、関係ありません」

文登氏の話を聞いていて、この三兄弟はまさに天の配剤だと思えてきた。

左から双子の兄の文登氏、4歳上の兄の翔太氏、双子の弟である崇弥氏

※本ページの内容は取材当時のものです。

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