ここにこの人あり

飲食業で「感謝力日本一の男」を自負
人づくりや農業を「ありがとう」の精神で

感謝の心で、顧客、従業員を幸せにしたい。それを理念に起福きふくを設立して約20年、京都市を中心にさまざまな飲食店を経営する。成功の鍵となる「感謝力」を学生アルバイトに伝授して社会に送り出す。さらに日本を元気にしようと農業にも取り組む。
広報誌「日本公庫つなぐ」28号でもご紹介しております。

有限会社起福 代表取締役社長 伊藤 秀薫氏

有限会社起福 代表取締役社長
伊藤 秀薫(いとう ひでのぶ)

1973年京都市生まれ。18歳の頃、恩師に教わった「人徳の積まれる感謝の徹底」という言葉を個人理念とする。23歳のとき「感謝の武者修行」に出て、横浜中華街の飲食店で約1年半働き、本物の感謝力を身に付ける。2002年7月最初の店舗となる「とりくら」を開業、2004年に有限会社起福を設立。現在はラーメン店やカフェなど16店舗を経営する。

自己表現力が豊かな人のようだ。意表を突く装いで現れた。髪型も最近、若手のビジネスマンに見掛けるいわゆるツーブロックで、側頭部と後頭部を短く刈り上げている。

奇抜な服装は、有限会社起福の伊藤秀薫社長(49)にとって、単なるおしゃれではないそうだ。「京都の和装で有名な会社が創作した、和装をモチーフにしたカジュアルな服です。スーツにネクタイから、これに変えてちょうど1年です。服にお金を使うのなら生きた使い方をして、和装文化の振興に貢献したいと思ったのです」

なるほどシャツの上に羽織っているものは、和服をイメージさせる。ズボンは裾がすぼみ、地下足袋を模したブーツを履いている。

伊藤氏は名刺も独特である。前掛けをした男性が、はいつくばうように上体を90度曲げて、何やらわびているように頭を下げている写真が小さく載っている。よく見れば自著『億万長者の感謝力!』(2016年出版)の表紙の写真である。著者名は「感謝力日本一の男 伊藤秀薫」と記されている。

感謝の精神で創業し 開店早々倒産の危機

起福の原点「とりくら」。京都の中心地、四条烏丸で創業20周年を迎える

「それは私です。20年前に京都の四条烏丸で初めて石焼地鶏の店を開いたのですが、まともなサービスが全くできなくて、お客様に心を込めて申し訳ございませんと、おわびかたがた感謝の気持ちを表したときの姿です。これが私のトレードマークになり、当時、その界隈では有名でした」

いくら感謝とはいえ大げさ過ぎないか。実は「開店して1年もたたないうちに倒産の危機に直面したのです。肝心の料理長に部下を引き連れて辞められましてね」と言う。

「私が感謝力によるお客様のインサイト(心の声)に沿った戦略を実行していくことに料理長の考えが合わなかったようで。さらにメニューの方針が違ったのが決定的でした。

私はお客様の声をよく聞くだけではなく、感謝力によりお客様も気付いていない心の声を読み取ると同時に、計画と改善を繰り返すPDCAサイクルを最速で回しました。そしてお客様が最も求めるメニューへの変更を打診したのです。しかしそれを料理長は自分の料理を否定されたと受け止めたようです。

私は『京都中心部の四条烏丸周辺は、一般に所得の高いお客様が多いが、普段はある程度抑えた価格帯の料理をお求めになる』と言ったのですが、通じません。料理長は『俺の料理の価値が分からないようなレベルの低い客は、そこらの安い店へ行けばいい』と感情的になったのです」

起福の原点「とりくら」。京都の中心地、四条烏丸で創業20周年を迎える

お客様の罵声に「ありがとう」 奇跡が起き繁盛店に

ともあれ来店客の意見を聞いてメニューを改善するやり方で、店は軌道に乗りだした。「心の声に沿って直観で経営したのが正しかった」と伊藤氏が確信した矢先のことである。料理長が不満を募らせて、「こんなメニューでは、やっていられない」と辞めてしまった。

残ったのは伊藤氏含めて料理経験がない3人。注文しても料理がなかなか出てこない。その料理も半生のから揚げなどお粗末だった。会計も遅い。普通なら、客離れが起こり、つぶれるのは時間の問題である。伊藤氏は「お客様からは100%クレームです。『お前こんなので、お金を取るのか』と毎回怒鳴られました」と言う。

伊藤店長はただ「ありがとうございます」と頭を下げるしかない。会計を済ませて不機嫌そうに帰るお客様に、例の、はいつくばうようなお辞儀をして、「ありがとうございました」と声を張り上げた。「お金を頂くのが正直、申し訳なく、土下座をしたいくらいでした」

ところが「奇跡が起こりました」と述懐する。「クレーム100%の店がリピート率100%の店になったのです」。こういうのを、ウソのような本当の話というのだろう。

「あるお客様から言われました。『よく見たら人が足りないね。お客様にあんなに怒られたら、私なら逆切れするが、あなたからは感謝の気持ちしか伝わってこない。どうしてそんな働き方ができるの?』。私たちが『ありがとう』の一心でやっていると、お客様が冷静に見てくれるようになったのです」

てんてこ舞いの上、お客様に罵声を浴びせられれば、従業員に厳しく当たりそうなものだが、伊藤氏は逆だったという。「調理担当には『お客様のクレームは僕が全て引き受けるので、ありがとう、ありがとうと念仏のように唱えて仕事をして』と言っていました」

伊藤氏によると、そのうち「『ありがとう』があふれている店だと評判になり、お客様が懸命に働く私たちを見に来てくださるようになりました。人も足りずお粗末なサービスによりお怒りになったお客様が、なぜか『感謝を込めたありがとう』だけで即許してくれる。それどころか『応援してあげる』とファンになってくれました」と言う。倒産寸前の内容なのに、なぜか繁盛するのだから、まさに奇跡である。

「起福」という社名は、設立当時、お客様を見送りする際に「お客様に福が起こりますように」という願いを込めて、「ありがとうございます」とお礼をしていたことが起源となっている。

創業から1年半後にはお好み焼き店を、2年後には手羽先居酒屋を相次いで開店できた。お客様の心をつかめたのは、修業時代に日本一の感謝を目指し、無給で働き「当たり前に感謝をする」ということを徹底してきた伊藤氏ならではの、特異な能力によるものだろう。もし「ありがとうございます」が口先だけなら、逆効果になったはずだ。

中学でのいじめが転機 人を憎まず自ら変わる

伊藤氏はこう考えている。「人徳が積まれるように、人への感謝を徹底することが、どのような困難も乗り越えられる力になるのです。人徳があれば、人に見返りを求めずに全てを与えることができて、たとえ人から理不尽な仕打ちを受けても許せます。何事も感謝の心で取り組み、人徳を重ねれば、成功します」

しかし言うのは簡単だが、実践するのは難しそうだ。伊藤氏は尋常でない生き方によって、「感謝」の精神を身に付けた。「私の人生を大きく変えたのは、中学生のときに受けたいじめでした」。それが最初のきっかけである。

いじめは、通った中学校で2年以上も続いた。「当時、学校が荒れていて、授業中でも殴られました。先生も不良グループが怖くて、見て見ぬふりでした。いじめを受けた理由は、いじめられている人を殴れと命じられたのを拒み、助けたからです。幼い頃より父母から『人を大事にしなさい』と教え込まれていたので、言われるままに人を殴ることなんて、私にはできませんでした。

水耕栽培施設の運営や米作りなど、本格的に農業に取り組む

いじめてくる奴らを憎みました。自分がどんなに辛くても筋を通してしまうように育てた両親まで恨みそうになりました」。悩み抜いて悟った。「中学3年で、考え方が他責から自責に変わりました。力もないのに助ける自分が悪い。相手が悪いと憎むより自分が変わればいいのだと」。中学の卒業文集に「自分は自分。最後に笑ってみせる」と書いた。「感謝力」へ向けて第一歩となる宣言である。

高校2年生の頃には、「力を付けて中学の時のグループでリーダー格になり、いじめをなくしました」。とはいえ不良の世界に身を投じていたので高校では先生たちから目を付けられていた。

イギリスの哲学者、バートランド・ラッセルは『人生についての断章』(中野好之・太田喜一郎訳、みすず書房)というエッセイ集でこう書いている。「悪童」を、もの分かりのよい先生ならば「言い付けをきちんと守りいつも状況に応じて『はい』とか『いいえ』と模範的返事をする『良い』子よりも好きになるものである。男の子ならば根性を持つべきであり、時と次第では権威などを屁とも思わない気概で自分の行動に責任を取るのが望ましい」

伊藤少年は髪が少し茶色っぽいというだけで、修学旅行への参加を許されなかった。しかし自分が周りからどのような印象を持たれているのかを理解していたため、担任を恨むことはなかった。別の先生からは「お前はすごいな」と褒められたという。「お前よりずっと悪い奴が行けたのだから、普通なら爆発する。だけどお前は優しい奴だな。でも校則違反は事実だから仕方がない。何とか辛抱してくれよ」と諭された。「その先生だけが私を理解してくれました」

高校を卒業した18歳のある日、10人の高校生グループに絡まれた。「先に相手に殴られたので正当防衛で喧嘩をしたのに、なぜか私が警察に拘束されました」。2週間ほど留置されたが、そのときこの冤罪から解放されるような奇跡が起きたなら「世のため人のために生きようと誓った」と言う。

その後、「ご縁をいただいた尊敬する人生の大先輩方から『お前は人徳を持っていたから、運に恵まれ救われた』とも教えられた。社長になれたのは『人徳と運だけで全てを手に入れる生き方を修業しに東京に行く』と宣言し、東京、横浜にて感謝武者修行をやり抜いたからでしょう」と語る。

水耕栽培施設の運営や米作りなど、本格的に農業に取り組む

従業員に「感謝力」伝授 農業始め日本を元気に

起福では、初めに心の「在り方」を学び、己の力を磨いていくための研修を実施している

以後、起業を目指して人の嫌がることを率先して引き受け、「感謝力」に磨きを掛けながら開業資金を貯めた。不足分は金融機関から融資を受けて、第1号店を開いたのは29歳のときである。現在、ラーメン店やカフェなどを加えて16店舗を経営する。従業員数は正社員57人に学生アルバイト、パートタイマーなどを合わせると約260人になる。

希望する従業員には「起福大学」と称する研修を行い、「感謝力」を伝授する。巣立った元学生アルバイトの中には、生命保険会社、商社、リゾート運営会社など、幅広い業種の大手企業に入って活躍している人が少なくないという。そうした企業で「最高の業績を上げて最速の出世をしているうちの卒業生もいます」と言う。

「日本を元気にしたい」と考える伊藤氏は今、農業に本格的に取り組む計画を進めている。「既に障がい者雇用施設を展開し、京都市で初となる野菜の室内水耕栽培施設の運営もやっています。食糧危機が予想されますので、今年から滋賀県で3反(約30アール)の田を借り、米作りを始めました。来年には15反の耕作放棄地を借りる予定です。有志の人たちと無農薬でやります」。「思いは必ず実現する」という「感謝力日本一の男」の夢は、さらに大きく膨らむ。

起福では、初めに心の「在り方」を学び、己の力を磨いていくための研修を実施している

※本ページの内容は取材当時のものです。

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