ここにこの人あり

大企業の研究開発を支えるために創業
今や関西経済界のリーダーの一人に

ソフトウエア技術者としてばりばり仕事をこなし、いったんは専業主婦になるも、斬新なビジネスモデルの企業を独力で創業。プラス思考が持ち味で「女性には100人の味方がいる」が持論。今や関西経済同友会代表幹事としても活躍が期待される。
広報誌「日本公庫つなぐ」23号でもご紹介しております。

株式会社プロアシスト 代表取締役社長 関西経済同友会 代表幹事 生駒 京子氏

株式会社プロアシスト 代表取締役社長
関西経済同友会 代表幹事
生駒 京子(いこま きょうこ)

大学卒業後、大手ソフトウエア会社勤務、専業主婦を経て1994年に有限会社プロアシストを設立。2001年、株式会社に改組。経済産業省「ダイバーシティ経営企業100選」、内閣府「女性のチャレンジ賞特別部門賞」などを受賞。現在、関西経済同友会代表幹事、大阪商工会議所一号議員、大阪産業局理事、日本WHO協会理事、生産技術振興協会理事、大阪大学招聘教授なども務めている。

腰の低い人というのが第一印象である。語り口は如才無いが、言葉の端々からユニークな一面がほとばしる。

生駒京子氏(65)は、企業の研究開発(R&D)部門などからソフトウエア開発を受託する株式会社プロアシスト(本社大阪市)の創業社長である。2021年5月に関西経済同友会の代表幹事に選ばれて、関西経済界のリーダー役を引き受けた。

代表幹事就任については、控えめに語る。「私では分不相応なので、一度はお断りしたのです。前任の深野弘行さんからご指名を受けて、『2週間考えさせてください』とお願いして、どう断ろうかとずっと思案していました」

プロアシストは創業してまだ27年余りで、高い技術力を持つとはいえ、社員217人の会社である。ちゅうちょするのもわからないではない。しかしこの小柄な女性のどこにそんなエネルギーが隠れているのかと思うが、独力で会社を創り上げた起業家である。

「私でなければならない理由は何だろうと考えていたら、だんだんモチベーションが上がってきました」と言う。

「関西経済同友会では女性の代表幹事は、19年前に初めてなった寺田千代乃さん(現アートコーポレーション名誉会長)以来いません。また新型コロナウイルスによって社会、経済のあり方が変わりゼロから出直さなければならない今、私だからこそ、やらなければならないと思うようになりました」

賃貸マンション住まいで何から何まで独りで創業

「私にはフットワークの軽さがあり、関西経済を活性化するために産官学に金融を加えた連携の渦を起こせるのではないか。実際、私は多くの方々のお世話になって会社をやってきました」。根は自信家で、確かな裏付けがある。

生駒氏は「専業主婦が起業」という異色の経歴の持ち主なので、アマチュアからいきなりプロの世界に挑戦したような印象を受けるが、実態は違う。結婚して2年ほど家に入っていたが、その前の7年間は、大阪電気通信大学工学部を卒業後ソフトウエア技術者としてばりばりと働いていた。

当時、賃貸マンションに住んでいた生駒氏は1994年、創業に際して国民金融公庫(現日本政策金融公庫国民生活事業)の阿倍野支店を訪ねた。「30分の面談で、専業主婦の私に300万円を、しかも無担保で貸してくれたので驚きました。20枚くらいの企画書を持って行き、一生懸命ご説明したら、質問も無く、『わかりました。話を上に通して、後ほどご返事します』で終わったのです」

当時は朝、夫が出勤すると、扉の外に「有限会社プロアシスト」の看板を出していた。融資を申し込んで2日目の朝10時ごろ、公庫の担当者から電話がかかってきた。「昨日、事務所に行きましたが、看板が出ていたので、お忙しいと思ってそのまま帰りました。300万円のご融資が決まりました」

公庫の融資がスムーズに決まったのは、生駒氏の事業計画が説得力のあるものだったためだろう。これからは大企業のR&D部門も開発をスピードアップするために何でも自前でやるのではなく、一部をアウトソーシングに切り替える動きが増えるに違いない。そこに焦点を絞り、ソフトウエア開発を受託する事業を始めようと考えた。

27年も前である。研究開発関係での外注化は珍しかった。「後で公庫の担当の方から『コロンブスの卵ですね』と褒められました」と言う。

生駒氏は、1981年にソフトウエア会社に就職して、松下電工(現パナソニック)のR&D部門に出向した。そこに後に健康機器の「ジョーバ」に発展する馬の動きを再現する機械があったという。「ジョーバ」は、乗馬のような運動ができるとの触れ込みだった。

現場から起業のヒント 企業のニーズ必ずある

「製品化されたのは20年くらい後で、時間をかけすぎたため、すぐに海外のメーカーなどにまねされました。

このような例が、起業のヒントになりました。研究所の仕事を加速する必要がある。アウトソーシングの利用はそのための有効な手段になる。そうした企業のニーズに応える事業が必ず求められるだろうと」

プロの仕事をアシストするという意味で「プロアシスト」という社名にした。普通の専業主婦でないのは、最初から企業理念を決めていたことからもわかる。

同社には「永久的不滅にて前進あるのみ。そして信頼と安心と安らぎを社会に与え続ける」という「社是」がある。さらに会社の「存在要件」として「社員の精神的・物質的幸福」など3カ条と、「経営理念」として「個人の尊重」など5カ条をうたう。これらを創業前には決めていた。「主婦で時間があったので、1カ月くらいで、いろんな本を読んで勉強もして考えました」と言う。

「永久的不滅に」という「社是」の意味するところを尋ねたら、「会社はゴーイング・コンサーンですから、つくった以上は継続させなければいけません。社会に幸せをとどけるのは企業として当然の責任でしょう」と答えた。

驚くのは生駒氏が語る起業の動機である。「おカネのためではないのです。日本を救わなければならない。このままでは日本は沈没する。日本を助けたい」との思いに駆り立てられたという。

1990年代に入ってバブル経済が崩壊して、日本は不良債権問題などで厳しい状況に陥った。主婦だった生駒氏は新聞を読む時間が増えて、日本経済の先行きに危機感を覚えたそうだ。

だからといって事業をやろうという発想にはなかなか結び付かないものだ。「普通はそんなこと思わないですよね。でも私はそう考えたんです。公庫に融資を申し込んだ時も『日本のために起業したい』と言ったはずです」

祖父の夢を叶え、大阪有数のビジネス街、高麗橋近くにオフィスを構える

常識にとらわれていては、事業のリスクは取れない。小銭稼ぎで満足するのなら、もっと楽な道がある。

会社を始めた当初、親戚から反対する声が上がったそうだ。事業に失敗して連帯保証などで家族を巻き込むケースがあるからだろう。しかし教師だった両親は賛成してくれた。生駒氏は「親は私が専業主婦に向いていないと思ったのでしょう」とみる。

小さいころ可愛がってくれた祖父から「商売するなら、大阪では高麗橋、東京では日本橋室町だ」という話をよく聞かされた。お茶問屋を営んでいたことがある祖父は、孫娘に自分の夢を託していたのではないか。「そうかもしれません」と生駒氏も語る。

起業家として特筆すべき資質は、人の心をつかむ術を備えていることである。結婚前にソフトウエア技術者だったときも、京都大学や大阪大学などの学者にいろいろ教えてもらっていた。

祖父の夢を叶え、大阪有数のビジネス街、高麗橋近くにオフィスを構える

門前払いも苦にしない 会えればしめたもの

「先生方は個性が強いですが、敷居が高いとは思わなかったですね。先生も人間ですから、こちらが素直に『教えてください』と飛び込めば、『いいよいいよ』と受け入れてくれます」

4月に創業して6月には、母校の教授の紹介で大阪電気通信大学の大学院生を新卒第1号として採用した。教授からよほど信頼されていた証左だろう。

同じ6月末に取引先第1号として松下電工。続いて日本電信電話株式会社(NTT)と大企業を開拓した。もちろん「最初は門前払いです。帰りに、当時はお酒が飲めないので栄養ドリンクを一気飲みして元気を奮い起こしていました」。相手が根負けして話を聞いてくれたら、しめたもの。技術のプロ同士だから、納得すれば使ってくれる。そしていつの間にか自分のファンにしている。

夫の圭視氏は同じ会社に勤めるソフトウエア技術者だった。生駒氏が会社を始めることに賛成ではなかった。2週間余り説得を続けると、しつこさについに「勝手にしろ」と怒り出した。生駒氏はすかさず「有難うございます。勝手にさせていただきます。あなたが私の第1号のファンです」と笑顔でうまく収めた。

5年後、会社が軌道に乗って初めて事業内容を報告した。「おかげ様で、社員も増え、決算賞与も出せるようになりました。感謝します」。圭視氏は「何か手伝うことはある?」と言ってくれた。現在、圭視氏は専務取締役に就き、技術者の仕事を続けている。

社員を家族と思う生駒氏は、今はコロナ禍でできないが、地方出身の社員の実家を家庭訪問する。「親御さんはプロアシストなんて知りませんから、私を見て安心していただくためです」。「こんな社長です」と気さくに話しかければ歓迎される。和やかに時を過ごすうちに、家族は生駒ファンになる。

だが女性ゆえに理不尽な経験をしたことはないのか。「女性だから損したとか不条理な思いをしたことは全くありません」。「男は外に出れば7人の敵がいると言いますが、女性には100人の味方がいます」というのが持論である。

転職したある会社では、昼休みに男性陣が食事に出ると、事務職の女性たちは会議室にこもって弁当を食べる。電話とりはしませんという意思表示でもある。生駒氏は技術職だがデスクに残り、かかってくる電話に次々と出た。「自然に誰さんにはこんな電話が来たとか、いろんな情報が入って面白いのに、なぜ彼女たちはやらないのだろうかと不思議でした」と振り返る。

お茶くみも「最高の時間」 やらされていると思わず

生駒氏の社員への思いが、一体感のある会社の雰囲気を生んでいる

新入社員時代、お茶くみをしたが、抵抗が無かったどころか、「最高の時間だった」という。なぜなら「お茶を出す時、部長からも声をかけられて、話ができる機会があるでしょう」。やらされていると思わず、何事もいい面があると受け止める。頭の古い男性たちも味方になるはずである。

プロアシストは今、28期に入っている。「今、若い社員たちが『ビジョン2025』を作って、2025年には売上高25億円を達成したいと言っています。しっかりやれば可能だと思います。我が社はデジタルトランスフォーメーション(DX)のセンターポジションにありますからね」

こう語る生駒氏は、将来を考えている。「会社を担う次世代の人たちを育てています。安心してバトンを渡せるようにするためです。当社は生駒同族会社にはなりませんので、どういう会社にしていくか検討しています」

当面は「会社で働くみんながもっと幸せになるようにするとともに、関西経済同友会代表幹事として関西が元気で幸せになるように頑張ります」。普通の人ならしんどいと思うことを楽しむタイプである。「これまでに困ったことや苦労したこと?ありません」と言うのだから脱帽だ。

生駒氏の社員への思いが、一体感のある会社の雰囲気を生んでいる

※本ページの内容は取材当時のものです。

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