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若くても工夫次第で勝負できる寿司店を創業した。
5年後、10年後と先を見据えた事業展開を常に考えていく。
東京オリンピック開催決定と熊本地震。古庄さんの転機には、世の中の出来事が関係している。
「常に時代の先を走りたい」という21歳。開業した寿司店は情報の集まる窓である。
世界的に注目される和食
中でも寿司の可能性は大きい
寿司店の創業を考えたのは飲食店でアルバイトをしていた高校生のとき。
「アルバイトで地方都市の催事に一週間同行したのですが、『商売人』の方々は、仕事と遊びとのメリハリがあって、その生き方に憧れを抱きました」
卒業と同時に東京の和食店で修業をするが、その最中に東京オリンピック開催が決まった。「東京で包丁を握っている場合じゃない。もっと視野を拡げて世界に通用する人間になりたいと思い、海外での和食修行を決意しました。和食は世界的に注目されています。しかし寿司は、世界において、価格の相場が明確ではありません。だからこそ、若い自分でも、工夫次第でグローバルに勝負できる可能性を感じ、寿司店の創業を意識するようになりました」

創業を早めた要因の一つが熊本地震
そこで、日本を飛び出してオーストラリアで和食の修業をすることに。修業先のオーストラリアの和食店はインターネットで探した。
最初は「給料はいらないから修業させてくれ」と頼み込み、実際に給料がもらえるようになるまで2カ月かかった。
月給は日本の5〜6倍。貯蓄もできて、大学でビジネスを学ぶことを検討していた矢先に熊本地震が起きた。
足早に日本に帰国し、炊き出しなどのボランティアの活動をしているうちに、現在の物件と出会った。予定よりも早めの創業だったが、知人の勧めで日本公庫の融資を受けて2016年8月に寿司店を創業する。

着替えと常備薬だけを持って渡航したオーストラリア。「be動詞さえわからない英語力だったけど、空港に着いた瞬間、『大丈夫だ!』と思いました」

熊本地震の炊き出しボランティアを支えてくれたのは、オーストラリアの日本人コミュニティの人々だった。ボランティアの様子はSNSで報告した。
幅80センチのカウンターごしに見えるもの
カウンターから見える風景には、寿司職人の包丁さばき、並んだお酒など、お客さんを喜ばせるエンターテインメント性がある。だからこそ、カウンターだけの店舗にこだわった。
「美味しい寿司を提供するのは当たり前ですが、僕は職人というより商売人です。店内は僕の『仕事』を披露できる場所として、カウンターの幅やメニューなど細部までこだわっています」
アルバイト時代、経営者の方々と関わり、さまざまな経験をさせてもらった。そこで見聞きしたことはすべて財産、今のビジネスモデルにつながっているのだ。
「たとえば寿司屋は仕入れが大事だと言われるけれど、餅は餅屋、そこはプロに任せています。だから今、21歳では厳しいと言われる寿司業界で事業をしていても怖いとは思いません。自分への投資の意味で週休2日にして、将来の事業展開につながるような情報を収集しています」

カウンターの幅は人と落ち着いてコミュニケーションが取れる約80cm。これも戦略のうちである。
古庄大樹さんの自分史
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熊本県に生まれる。
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アルバイト先の親方に「パスタは毎日食べられるか? 和食はどうだ?」と言われて、和食なら毎日食べられると思い、その道に進もうと決意する。
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高校卒業。東京、湯島の和食店で修業をはじめる。
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オーストラリアに渡航。ワーキングホリデービザを取得。
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熊本地震発生。急遽帰国して、炊き出しボランティアを行う。炊き出しの費用は、オーストラリア滞在時のコミュニティから送られてきた資金をあてた。
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寿司店オープン。
普段、活用する商売道具を教えてください。
iPadで経営に関わるすべての管理を行っています。お客さんは公務員や起業家など、人生経験豊かな方々なので、情報を仕入れるためにも大事なツールです。
スタッフの採用のポイントは何ですか?
「人を喜ばすことが好きな人」です。熊本の飲食店は人材不足が問題なので、大変なときは仲間同士で助け合える体制作りも考えています。
(2017年7月現在、社員1人、アルバイトスタッフ6人。)
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古庄 大樹さん
ふるしょう ひろき
平成7年生まれ。父は公務員。起業家や商売人について教えてくれたのはアルバイト先や修業先、お客さんである。店名の「ぼくのすし」は「20代なので謙虚に」決めた。現在一番楽しいのは、同級生と将来の事業展望を語ること。 |
Campany info
ぼくのすし |
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※内容は2017年10月時点のものです。