輸出の物流拠点まで物理的に距離があるというハンデにも負けず、地元宮崎の鮮魚をブランディングして海外マーケットへ乗り出している鮮魚卸企業です。
更新年月2025年1月
試行錯誤を重ね開発した「サクラパスタ」「雪結晶パスタ」を武器に、世界各国に輸出を実施。老舗製麺所が公的機関の支援も活用し、海外市場の開拓に挑戦中。
更新年月2023年10月
創業から80年を迎える地域密着型の老舗和菓子店は、15年ほど前にネット販売を通じた輸出を開始。主力商品の最中やどら焼きを世界各国に届けている。
およそ100年前、町村均社長の祖父が米国で学んだ酪農技術をベースに創業した。2015年、取引先との縁で乳製品の輸出をスタート。感染症拡大で国内実店舗の売上げが落ち込む時期もあったが、販売ルートの複線化が同社の経営を安定させた。
全国各地でリーマンショック以降、さつまいもへの転作が増加。「なると金時」の差別化に悩んだ若手生産農家が開発した加工食品が、海外への販路という突破口につながった。
150年の歴史を刻む老舗刃物メーカーは、北米や欧州を中心にOEM(相手先ブランド生産)を続けてきた。5代目となる渡邉隆久社長の妻の一言がきっかけで自社ブランド開発にも着手し、三星刃物のブランドが改めて世界に認知されようとしている。
取引先の要請を受け、2013年にタイに精密プレス金型工場を建設。円安による建設費高騰、技術力向上等の課題はあったものの、人材育成等に取組み金型の一貫生産体制を構築。全社売上に占める海外市場の比率が3割を占めるまでに成長した。
徳島のローカルフードから世界の健康食品へ。高たんぱく・低脂肪「フィッシュカツ」の躍進
フィッシュカツとは、味付けした魚のすり身にカレー粉や香辛料を加えたパン粉をまぶし、菜種油でカリッと揚げたヘルシーな魚のカツだ。徳島で「カツ」と言えばトンカツではなくこの「フィッシュカツ」を指すほど、ローカルフードとして親しまれている。
更新年月2022年10月
海外展開を契機に有機栽培にシフト。まじめで丁寧な柚子づくりで世界に挑む
宮崎県随一の柚子の生産地、西都市東米良地区銀鏡。標高1000mにもなる山々に囲まれた小さな集落で、50年にわたり柚子栽培を続けているのが株式会社かぐらの里だ。地の利を生かして育まれた柚子は、苦みが少なく香りが豊か。この柚子を使った果汁や柚子胡椒はいまや地域の特産品としてのブランドを確立している。
食後のデザートとしてレストランで採用。日本の伝統的発酵ドリンク「甘酒」がアメリカ進出
障がい福祉施設の経営者である吉冨健一社長は、常日頃から「施設出身のみんなに就労の場を」という想いを抱いていた。もともと麹菌を使った商品が好きだった吉冨社長は、同じ大村市にある味噌製造会社が後継者を探していることを知り、自ら修業の後に事業を承継。こうして株式会社咲吉はスタートした。
着物×イスラムファッション。自社サイトの質を上げ売上伸長
2016年、イスラムファッション専門店として設立。日本の着物をリメイクしてムスリムの女性が被るヒジャブ等を製作し、越境ECで販売。あらゆる世代の女性が活躍できる会社を目指している。
更新年月2021年12月
インバウンドからシフト。京都発スカジャンの越境EC
約40年のアパレル業界でのキャリアを生かし、 2015年に創業。スカジャンをメインとする和柄アイテムを越境ECで販売し、海外販路を拡大。
現地の声を生かしながら越境ECに成功
「Made in KOBE」にこだわった革工房を構える。素材を活かしつつ、機能美を備えた革製品を製造販売。2017年から、越境ECを活用した輸出をスタートした。
オホーツク海のホタテを紋別港で加工し、欧米へ輸出
当社は北海道の紋別港に隣接した敷地内に8棟の工場・冷蔵庫を構え、カニやホタテ、サケ・マス、イクラなどオホーツク近海で獲れた新鮮な魚介類の加工・販売を行う。
更新年月2022年1月
無添加ストレートジュースで「食の幸せ」を世界に届ける
直営農場と約550戸の契約農家で生産されるりんごの卸販売と加工販売を行う。1967年に若手後継者約15名が集まり、経営力向上のために立ち上げた「青年りんご研究会」が青研のルーツ。
産直のノウハウを活かし、物流会社と連携して「海外産直」
米の生産調整への問題意識を共有する大潟村の入植農家が集まって、小売店や消費者への産直を行うため、1987年に当社を設立した。現在は、年間約7千トンの米を取り扱っている。米の高付加価値化を進めるため、様々な加工食品の開発にも取り組んでおり、発芽玄米や米粉・グルテンフリー食品、食物アレルギー対応食・非常食といったレトルト食品、甘酒などの加工・販売も行う。
廃棄される酒粕をジンに再生し、日本と世界にサプライズを
当社は2020年2月設立の蒸留ベンチャーで、日本酒造りの過程で廃棄されてきた酒粕などを再利用してクラフトジンを生産・販売している。
タイに現地法人を設立し、牧場直営ブランドで輸出を伸ばす
自社で繁殖・肥育した近江牛を自社で販売しており、年間350~400頭出荷している。私が25歳のとき父親を亡くし、兄弟3人で経営を引き継いだ。長男が牧場、次男が飲食、三男の私が食肉流通の役割分担により事業を展開している。
生産・保管・流通を輸出向けに対応、国内トップシェア確立
当社は青果用のさつまいもに特化し、生産から加工・流通・販売をワンストップで行う過疎地域発の農業ベンチャー。自社農場と契約農家150戸、計250ha の農場で生産した紅はるか、宮崎紅、シルクスイートなど5品種を組み合わせ、独自ブランドで販売している。
オンライン商談会に挑戦!画面越しに届く伝統と技術
国立工芸指導所で輸出のために開発された「玉虫塗」の特許実施権を得て、商品を製造販売。戦後、カリフォルニアに輸出を開始。1985年以降国内中心に事業展開したが、東日本大震災の影響を受け、2012年、新ブランドを設立し、海外展開を強化している。
更新年月2021年3月
バーチャル酒蔵ツアーに挑戦!共感を呼ぶ焼酎造りの舞台裏
1894年創業。豊かな自然の中、伝統に育まれた球磨焼酎造りを実践。2004年からアメリカに輸出。その後国内市場で認知度を上げながら海外にも展開。2020年7月にバーチャルツアーとオンライン商談会に参加し、フランスの新規取引先を獲得。
専門家と組み輸出に挑戦!室内履き文化を世界に発信
1919年創業。高度経済成長期には全国の約3割のシェアを誇った河北町で、スリッパを製造。海外製品の価格競争に巻き込まれたことから、オリジナル商品を開発し、直接販売にシフト。2020年4月、海外取引に初めて取り組み、アメリカのバイヤーと契約。
ユーザーのSNS発信から需要が急増!海外で拡大するカスタムパーツブランド
幼児向けのペダルなし二輪車・ストライダーは、世界で200万台を突破した大ヒット商品。カスタムパーツのDADDYLABブランドが、グローバルに広がっている
更新年月2019年5月
世界の市場を活性化し、環境にもやさしい「とんがった技術」を活用した知財戦略
海外の大企業に求められている、世界初のコンパウンド(混合)技術とは。
海外市場でさらなる成長を目指すバラエティコスメのヒットメーカー
国内取引先の海外進出や、海外インフルエンサーによる商品紹介がきっかけで「がばいよかコスメ」の海外展開を開始。
石と皮革の文化圏で異彩を放つ桜の樹皮のテーブルウェア
初の国際見本市で受注が決定!2008 年に策定した企業理念の中に「世界に類を見ない一属一種ともいうべきクラフトの価値を国内は元より広く世界に発信したい」と記した時から、冨岡浩樹社長は海外での事業展開を考えていた。
更新年月2018年11月
文化が動けば、商品も自ずと動く
「提案する」ビジネススタイルで販路を拡大。株式会社横鹿は、有田焼(肥前佐賀藩)、三川内焼(平戸藩)、波佐見焼(大村藩)という磁器生産地の境界に本社を構える。
「播州釣針」の老舗企業が自社ブランドで世界各国に輸出
輸出部門が成長できた理由。当社は1892年(明治25年)に創業した兵庫県播州地方の地場産業「播州釣針」メーカーです。創業者・土肥富太郎は業界に先駆け機械化を図り、二代目社長・富誉が大量生産体制を築きました。
更新年月2018年3月
アジアのビジネスチャンス獲得のため中国からベトナムに進出
90年代から海外進出を開始。当社は創業70年を迎えますが、当初は樹脂成形材料の生産からスタートし、後に冷蔵庫のコンプレッサーや電話交換機の樹脂部品の生産に事業転換しました。
主要取引先の海外生産移転に伴い、タイに生産拠点を設立
「アジアのデトロイト」に工場設立。当社の主力事業は、自動車エンジンや駆動系部品の製造です。創業時より大手自動車会社のTier1(1次サプライヤー)メーカーとして、さまざまな部品を提供してきました。
世界が認める、切れ味のいい庖丁~「売り込む」ではなく「求められる」品質を~
きっかけはドイツの国際見本市「アンビエンテ」への出展。ドイツのゾーリンゲンは刃物鍛冶で有名な街ですが、中でも最上級と言われるメーカーの刃物は、実はメイドインジャパンです
更新年月2018年1月
信頼関係を重んじる~「京都の商売」は世界基準~
八百屋として農家を守るため海外展開。京都老舗の八百屋から独立した当社の海外展開は、決して世界的な和食ブームに乗ったわけではない。
世界各国の技術を結集~独自の発想で世界に挑む~
海外の職人を発掘する外国人スタッフたち。大分県豊後高田市は、過疎化に伴い2005年に1市2町が合併した市である。同市では現在、昭和の町並みを再現し観光客を呼び込んだり、空き家バンク事業を実施し市外から移住者を呼び込んだりして、町の活性化を図っている。
クオリティの高い日本製品には力がある越境ECで世界に挑む
越境EC サイトの利用により急成長。幼い頃からパソコンに触れ、インターネットの世界に興味をもっていた綱島広和社長。社会人となり、当時特に興味をもっていたインターネットショッピングについて独学で学ぶ中で、海外における日本製品の評価の高さをよく目にするようになる。
更新年月2017年2月
ミャンマーと日本の「つくり手」による無二のウェディングドレス長年の努力により築き上げた技術の架け橋
手仕事をしてくれる人材を求めてミャンマーへ。1980年にビーズ刺繍加工の工房を立ち上げ、有名ウエディングドレスメーカーから多くの仕事を請け負ってきた同社が、海外への進出を考えはじめたのは95年。
温暖な気候の国々でも評価されるマフラー編み出した特殊技術で、海外へ「ご縁」を紡ぐ
会社のピンチが販路拡大へのきっかけに。当社は、創業当初、刺繍や縫製に特化した製品(リストバンドやヘアバンドなど)の製造を中心に行っていた。しかし、10年程前に取引先が倒産し受注が半減したことを契機に、蓄積してきた縫製技術を活かした独自の製品づくりに着手するようになった。
高知の和紙が世界のアートに変わる時代とともに変化する和紙の新しい姿
時代のニーズに沿った商品開発。高知県吾川郡いの町は、約1000年以上の歴史がある伝統工芸品、「土佐和紙」の産地である。同社は明治10年頃から、手漉き和紙職人を集めて典具帖紙の製造を始めていた。
ニッチビジネスを探して出会った「ハラル」MADE in JAPAN品質を世界の食卓へ
「ハラルミート」との出会い。近年、注目される「ハラルミート」は、イスラム教の方が食べることのできる食肉である。また、食肉業界に生きる桃田昌則社長の目を世界に向けさせた食文化でもある。
味噌はワインと並ぶ醸造発酵品味わい深さを世界に知らせたい
地域の味から日本の味へ、時代の変遷を乗り越えた「手前味噌」。味噌は日本人の食生活に欠かせない食材である。昭和30年代までは、全国各地域で味噌を作り、その地域で消費していた。
更新年月2016年2月
スローライフ、エコロジー、健康志向時代が注目するジャパンブルー
繊維製品の輸出が国内生産を超えた平成元年、藍染工房建設で再起を図る。江戸時代、庶民の着物を染めた藍は、明治時代、英国人科学者によって「ジャパンブルー」と命名された。
目標は健康食の小梅で凱旋帰国すること食品添加物を使わない「本物の和食」を欧州へ
海外展開の意識なく甲州小梅を米国に輸出。社長に就任して今年で11年目を迎える長谷川正一朗社長。同社は先代から、アメリカへ小梅を送ってきた歴史がある。
外国人にはすべてが新鮮な「漆器=japan」世界の日常生活で使える商品を開発する
日常生活で使われなくなった伝統工芸品に新しい命を吹き込む。1974年、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」が公布され、繊維、和紙、文具、陶磁器など、古くから日常生活の中で使用されてきた品が「伝統工芸品」に指定された。
安心、安全な日本茶は信頼のブランド茶314年の歴史と共に世界へ
富士山麓のお茶はメイドインジャパンの象徴となる。静岡県は日本一のお茶の産地である。そのシェアは全国の約4割を占める。しかし、静岡県は広く、県の西部、東部、中部ごとに茶摘みの時期から茶の特徴までさまざまな違いがある。
「播州そろばん」に「数の概念を学ぶ教育」をのせて世界へ
そろばん界に押し寄せる少子高齢化の波。需要を求めて海外へ。播州そろばんは、兵庫県小野市を中心に製造される伝統的工芸品である。「そろばんのまち、小野市には昔から匠の技があるが、高齢化が進む今、技術の継承と生産性の低下に危機感を感じざるを得ない」と語るのは、播州算盤工芸品協同組合 副理事長の宮永英孝氏だ。
人との出会いを大切に、夢に向かって挑戦ブランド名ではなく、選ばれる酒造りで海外展開
日本文化を世界に伝える仕事がしたい。造り酒屋に生まれながら、日本酒とはまったく違う道を歩いてきた盛川知則社長。転機が訪れたのは、菓子メーカーに勤務し、ハワイに赴任した時である。
小さな漁港から水産物の安心安全を届ける旨い魚に手間ひまかけて、さらに美味い産地直送
海外進出のリスクを考えて踏み出せなかった起業からの7年間。(有)土佐佐賀産直出荷組合、通称「さんちょく」の創業は2004年。2005年には(財)高知県産業振興センターの「頑張る企業総合支援事業」に採択されて、地元で水揚げされた水産物の加工・販売企業として本格的に始動した。
地域資源「耳納杉」の間伐材が匠の技で息を吹きかえす日本発「MOTTAINAI」を商品化
殺菌性と通気性のいい「経木」を進化させて日本土産に。日本に昔からある包材がある。肉や刺身を包む「経木」である。紙が高価だった時代に、木を薄く削って食材を包む経木は、通気性が良く、殺菌性に優れている。
グローバルマーケットへの挑戦
ベトナム事情通のバイヤーにチャンス到来!ベトナムへの水産物の加工委託が増加中。水産物の加工委託先を中国からシフトする企業が増えているのを受けて、商社勤務時代からベトナムを知るバイヤーの仕事が急増している。
更新年月2015年1月
イスラム諸国へのフードビジネス
道がなければ、道をつくる。ハラル認証を取得し、イスラム諸国に商圏を拡げる。創業6年目の元証券マンが、中東での商取引を開始した。イスラム諸国での新しい食文化創造が、鈴木社長の最終目標だ。
後発からの海外展開
福井県の鯖街道より極旨の味を世界に…、日本公庫のサポートを受けて、海外へ進出。海外での展示会や商談会にも、福井の味そのままで勝負。マカオの高級ホテルと取引を開始し、海外展開の第一歩を踏み出した。
パリでブランド構築
青森県弘前発、クールジャパン、世界へ。ブナに命を吹き込む手仕事の、至極の技が冴える。BUNACOが世界へ躍進するチャンスが巡ってきた。フランス・パリで開催されるインテリアの国際見本市、その特等席ともいえる「NOW!」コーナーに出展する。
ベトナムのものづくりを支援
世界的にものづくりの分業化が進むなか、将来の需要に対応するため、ベトナムに生産拠点を置く。製造業の生産拠点が世界各地に分散して、グローバルな競争時代に入っている。ベトナムを部品供給国に育てようと本気で考えているのが、高瀬金型だ。
独自の燃焼技術を途上国へ
優れた燃焼技術が、今、着々と進化を遂げている。独自の燃焼技術を駆使し、環境配慮型の事業を展開するイーコンセプトが、今までにない安全性、省エネを実現する新製品「燃焼促進器」を開発。販売を開始した。
ITインフラが未整備の地でオフショア開発
アジア最後のフロンティア、ミャンマーでただ今、事業環境整備、人材育成に奔走中!オフショア開発に本格的に取組んでいるサイバーミッションズは、民主化の下で活気づくミャンマーの都市ヤンゴンに現地法人を設けた。
クールジャパンで販路拡大
京都発学生ベンチャーが、クールジャパン推進の担い手に。伝統工芸とITをマッチングさせた商品で世界を見据える。経済産業省の「クールジャパンの芽の発掘・連携促進事業(プロデューサー人材派遣事業)」に採択され、日本公庫からはクールジャパン関連の融資を受ける。いっきに世界へチャレンジする環境が整った。
海外へのアプローチの変更
中国に現地法人を立ち上げたが、撤退。原点に立ち戻り、新たなビジネスモデルを確立。意気揚々と中国に乗り込むも事業失敗。その教訓を活かして新しい形で中国と取引を開始。
「高品質の中古車」の新興国向け輸出で急成長!
マレーシアで勝ち得た信頼。同社は2008年に創業、マレーシアを中心とする新興国に対する中古車販売で急成長している。東南アジアの中でも中進国と位置付けられるマレーシアは近年、所得水準が向上。
更新年月2013年10月
小さな企業の大きなネットワーク
酪農からアイスクリームへ。北海道の東、摩周湖と屈斜路湖を有する弟子屈町。同社は山麓の大草原でのびのびと育った牛の新鮮な牛乳を使って、牛乳の臭みのない濃厚なアイスクリーム「くりーむ童話」をメインに製造・販売している。
女性パワー溢れる舞鶴の企業がアジアへ
自社ブランドを立ち上げ全国へ。日本海若狭湾に面し、重要文化財にも指定されている旧海軍の赤レンガの建築物が建ち並ぶ舞鶴市。2008年3月、この地で産声をあげたのは、ペット服の企画・販売を行う株式会社Beacheである。
香港発、老舗時計店のオリジナルブランド
老舗時計店の転換期。同社は、船来品の集う横浜元町で営業する老舗時計店である。1903年の創業から、戦後の高度経済成長期にかけては、海外の高級腕時計をメインに販売していた。
本場パリに出店したケーキ職人の思い
コンセプトは素材を活かすこと。同社は2005年、静岡に洋菓子店「Naturelle Nature(ナチュレ ナチュール)」をオープン。地元産のイチゴなど季節の果実を使い、素材本来のおいしさを最大限に活かした洋菓子を作っている。
「美」と「和」を追求し、会津塗を世界へ!
伝統工芸に現代の美を融合。同社は、「旬」の天然素材に職人が命を吹き込み、愛着の逸品を生み出す会津塗メーカーである。東洋の原点とも言える漆と木のぬくもりを生かし、使えば使うほどなじむ漆器を製造している。
チャレンジ精神で、水産加工品をアジアへ
“クール・ジャパン”の流れの中で。同社の主力商品である「どんちっち」アジは、浜田市・地元漁協などと協力して立ち上げたブランド魚である。近赤外線の測定装置を使い、通常7%位しかない脂肪分が、「どんちっち」アジは10%〜15%もあることを証明し、ブランド力をアップさせている。
環境に配慮した釣り用オモリで海外展開!
40年以上、研究開発を継続。同社は、1967年釣り用オモリを製造・販売する会社として創業した。その後、40年以上にわたって研究開発を続け、北海道内におけるオモリのシェアは実は8割にのぼる。
和太鼓の音色、世界へ響け
和太鼓教室、台湾へ。日本の伝統芸能として知られる和太鼓は、その力強く、躍動感溢れる響きで、日本人のみならず、海外の人々をも魅了している。また、和太鼓は、腕だけでなく、腹筋や腰を使って全身で叩く有酸素運動で、健康づくりに役立つ。
日本とベトナムの架け橋を目指す会計事務所
きっかけはベトナム留学生受入。武藤剛代表(54歳)がベトナムに進出しようと決めたきっかけは、ボランティアで行ったベトナム人留学生の受入。2011年に約2週間、簿記・会計を中心とする研修を行ったが、留学生のやる気と資質に感銘を受けた。