海外展開事例 ゼロイチ回想録

三星刃物株式会社 代表取締役 渡邉 隆久氏

三星刃物株式会社

代表取締役社長 渡邉 隆久氏

所在地岐阜県関市

分野刃物の製造・販売

URLhttps://mitsuboshi-cutlery.com/index.html

進出形態輸出

進出地域北アメリカ、ヨーロッパ

業種・取扱商品製造業

150年の歴史を刻む老舗刃物メーカーは、北米や欧州を中心に
OEM(相手先ブランド生産)を続けてきた。5代目となる渡邉隆久社長の
妻の一言がきっかけで自社ブランド開発にも着手し、
三星刃物のブランドが改めて世界に認知されようとしている。

Q.

海外展開には100年の歴史があるのですね。

A.

当社の創業は1873年(明治6年)、曾祖父が打刃物の製造・販売を手がけたのが始まりです。海外販売は1912年からで、祖父が東南アジアに向けて販売を始めました。本社のある関市は刃物の街として知られていますが、需要があるのは街の外。関は交通の便が良いところではなかったので、外に売りに行くのなら日本でも海外でも大して変わりない、というのが海外向け販売を始めた理由でした。

1957年にはニューヨークに初の海外支店を設けました。当時の為替は1ドル=360円で、輸出には絶好の環境でした。商談相手が1ダースの提示価格を1本と勘違いしたほどで、アメリカに売りに行く価値が大いにあったということです。

私自身は小さい頃から将来は社長だといわれて育ちました。大学卒業後、アメリカとドイツに留学しました。その後、商社で2年間勤めて海外ビジネスを体感し、1986年に当社に入りました。しかし、ちょうどプラザ合意後で急激に円高が進んだことから、当社の海外展開は大きなダメージを受けました。売上は3割減ったことから、生産を海外に移す大転換に迫られました。

100年以上前から刃物を海外へ輸出する三星刃物の本社工場
100年以上前から刃物を海外へ輸出する三星刃物の本社工場
Q.

1985年の急激な円高でフィリピン、中国に工場をつくりました。

A.

1986年にコスト削減を目的にフィリピン・マニラの洋食器工場と業務提携し、1987年に中国・深圳に洋食器工場、1992年には同じく深圳に包丁の工場を設立しました。ただし、刃物づくりに欠かせない良質な素材と確かな外注先の確保は容易ではありませんでした。また、商習慣の違いや、労務管理の難しさもありました。何度も投げ出したくなりましたが、5年をかけて生産を軌道に乗せました。この経験を経て、表面的な労働コストを考えて海外生産をしても、思うような利益は得られないことを痛感しました。

国内外での人気を支える製造現場
国内外での三星刃物の包丁の人気を支える製造現場
Q.

その後、状況に合わせて海外生産体制を変化させています。

A.

深圳の工場は、1996年に古くからの刃物の産地で同じ広東省の陽江に移した後、合弁会社にしました。その後、現地に任せた方が運営は円滑になると判断し、2000年に合弁相手に株式を売却しました。以降、そこからはOEM製品(相手先ブランド生産)を委託生産して調達しています。同時期に現地での需要が低いフィリピンからは撤退することにしました。フィリピンの現地工場ではスプーンやフォークといった洋食器を生産していましたが、現地ではナイフを使う習慣がないので売れません。そのため生産には消極的で、これでは当社としてビジネスを拡大できないと判断しました。こうして自前での海外生産からは退いたわけですが、こうした決断が現在の海外販売の拡大につながっています。

Q.

海外販売はどのように変化したのですか。

A.

2000年頃から米国では、大手のチェーン店が問屋を通さずに、中国メーカーから刃物を直接仕入れるようになりました。その影響で米国での上位取引先3社を失いました。状況を打開しようと着手したのが、「提案型OEM」です。デザインや素材のアイデアを出し、顧客と共に商品をつくりあげるスタイルでしたが、形になったところで価格が見合わなければほかのメーカーに鞍替えされてしまいます。

OEMの限界を感じていた時、商品化に至らなかったサンプルの山の中から「わたしはこのデザインが好き」と妻が取り上げたナイフが、自社ブランド「和 NAGOMI」の原型です。妻が開くパン教室の生徒の声を拾い上げ、使う方の悩みを解決する、生活を豊かにする、愛着を持って長く使っていただける、そうした包丁をつくろうと思いました。ただそうした製品をつくるのには手間がかかり、生産量も限られます。従来のように取引先が指定するスペックとコストの中で効率的に大量生産するのとは真逆です。製造部門からは当初理解を得られなかったこともありましたが、5年をかけて2015年にようやく自社ブランド「和 NAGOMI」を立ち上げることができました。

その後海外の見本市に出展するも、現地ではなかなか受け入れてもらえませんでしたが、隣のブースにいたフランス人シェフがリヨンに店を展開する日本人シェフを紹介してくれ、彼を尋ね、交流が始まったところから、少しずつ突破口が開けてきました。最近では関市のふるさと納税品で取り扱われ、5カ月待ちの注文が寄せられています。こうした評判は当社の技術への信頼となり、海外からの量産モデルへの注文にもつながっています。現在、海外販売比率は全体の6割を占めるまでになりました。

妻の言葉がきっかけで生まれた自社ブランドの包丁
妻の言葉がきっかけで生まれた自社ブランドの包丁
Q.

今後はどう展開していきますか。

A.

現在、「和 NAGOMI」は自社サイトでオンラインショップを展開するほか、2022年より、JETROとamazonが共同で実施している「米国/英国Amazon越境EC「JAPAN STORE」出品サービスを活用し、米国のamazonに直接出品しています。無料版と有料版があり、有料版では商品詳細ページ作成を代行してくれたり、売上拡大、認知度向上につながるような特別講座を利用できたりするため、有料版を活用しています。自社サイトのみでは限界があるため、より多くの方に知っていただくという意味では強い手応えを感じています。今後は形態の違う欧州やそれ以外の国にも拡げる予定です。それぞれの国において人気のあるECサイト等をリサーチしながら販売を拡げていきます。