「交流観光」で住民と行政が協働 人口減少の危機感が出発点に
(新潟県柏崎市 荻ノ島ふるさと村組合 組合長 春日 俊雄)
柏崎市高柳町は、新潟県のほぼ中央部、日本海の海岸線から山側に25km、北陸自動車道柏崎ICから30分、関越自動車道塩沢ICから50分の位置にある人口約1800人の純農山村である。地域は、里山の原風景を色濃く残し、住民の純朴な温かさや優しさと相俟って、ふるさとらしい空気感の良さが魅力となっている。
お国言葉の「じょんのび(語源:寿命延び)」は、まさにこの「情」の風情を表し、のんびり、ゆったりして身体の芯から心地良い様をいう。良い働きの後に授かる充実感や幸福感なのである。
地域づくりの特色は、厳しい自然と折り合いながら、ひた向きな営みを連綿と繋いできた地域の風情や住民の生き方・暮らし方などに着目し、農山村の新たな可能性を目指して「交流観光(ゆるやかな観光)」という手段によって住民と行政が協働し粘り強く挑戦してきたことである。
そして、取り組みの特筆すべきことは「ビジョンづくり」、「活性化イベント」、「人材養成」、「マーケティング」、「施設整備」を一体的かつ継続的に実践したことである。1985年の国勢調査は、地域に大きなショックを与えた。人口減少率が県内で最も高い自治体になったのだ。しかし、これが若者のふるさと愛に火を付け、ピンチをチャンスに変えていくこととなる。
「このままでは、いずれ町が無くなってしまう」という危機感から若者たちが、「自分の地域は、自分たちで考えよう」、「町の暗いイメージを一新するような変革が必要だ」などと地域を自分事として捉える心持ちに変化していった。
そして、その想いは具体的な行動となった。「これからの高柳の生き筋は交流だ!」と若者グループが先導する形で、地域の外に向けて物産展や交流イベントなどアピール活動(モノ・コトによる先行交流)が始まった。
行政もこの動きに呼応し、住民参加を推し進め、住民と行政の協働による交流観光プロジェクトへと展開していくこととなる。
当時、総務課の企画担当であった私は、2カ年間の住民と連携した物産展や交流イベントをベースに、1987年度に活性化ソフト事業「心を結ぶ深雪の里づくり事業」のビジョンを描いていた。このビジョンの目的は、ふるさと全体を地域資源と捉え、交流によりふるさとの価値を育みつつ、住民がはつらつとして誇りある地域を創造するというもの。
具体的な事業として「1.魅力ある地域人づくり」、「2.誇れる里づくり」、「3.誇れるモノづくり」、「4.交流による開かれた地域づくり」などを掲げていた。
ビジョンを基に、地域活性化計画の策定を親交のあった元島根大学名誉教授の安達生恒(故人)さんにお願いすると、見事に一喝されてしまった。
先生曰く、「高柳の現状は、行政が多少頑張ったぐらいでは如何ともしがたい。住民の力を借りなければ活性化は無理。さらに、他人(行政)の創った計画に誰が一生懸命になるか!住民みずからが計画をつくってこそ意欲と充実感が出てくるというものだ」と。
そして、町始まって以来の「白紙でビジョンづくりを住民にお願いすること」となった。
このビジョンづくりを担った高柳町ふるさと開発協議会は、町長(永井勇雄氏)の「金は出すが、口は出さない」との方針のもと、88年度から2年間、約40名の住民と役場若手職員10名が安達教授ほか7名の助言者の協力を得て取り組んだ。延べ220回もの検討会や視察、懇談会を経て「住んでよし訪れてよし」の町づくりをまとめたのである。
特に、委員となった若者が助言者のサポートを得て、全国の先進地(約30市町村)を自分の目で観たことやみずから各集落に出向いて懇談会、町民車座集会などを開催して、主体的に民意を把握しながらビジョンを取りまとめて行ったことは画期的であった。
顧みると、ビジョンづくりを成功に導くには次のような幾つかのポイントがあるように思う。
・委員が自分の意見をまとめたり、周りの人と意見交換をしつつ、自分が先頭になってやりたいことをビジョンに折り込むこと
・住民、行政、各種団体などそれぞれの役割分担を意識しつつ、より大勢の関係者を巻き込むこと
・地域で経験のない事業のビジョンについて、その内容に対する住民理解、コンセンサスを得るには、推進者の一生懸命さや誠実さ、情熱が大切なこと
また、結果的に、ビジョンづくりは委員の「視野を広げる」、「考えを深める」、「連携を強める」、「意見の表明が力強くなる」、「情報を収集する力が増す」など、人材養成にも効果があったことは議論の余地がないだろう。
こうして、1989年に住民が主体となって練り上げた「住んでよし、訪れてよしの高柳づくりビジョン」が策定された。
そこで提言された内容は90年度から順次、町の総合計画、過疎地域活性化計画などに位置付けられ、着実に取り組まれていった。これ以後、町の長期計画における地域活性化事業は、顔(実施者)の見える計画が基本となった。
以下では、これまで取り組んだ主な活動を紹介したい。
(1)農村滞在型観光の推進
●交流・観光コア施設「じょんのび村」
一九九一年度からビジョンに基づき、町経済の活性化を目指してふるさとの雰囲気が色濃く残っているエリアに、宿泊・日帰り温泉施設、特産品加工施設、貸別荘等を整備。町や住民が出資・設立をしたMじょんのび村協会が指定管理者として運営にあたっている。スタッフは、現在17名。地元の住民やIターン者であるが、経営スタッフ、フロアスタッフとも観光業が始めてであり、正にゼロからのスタートであった。
町長(樋口昭一郎氏)が社長としてみずから先頭に立って渾身の力をふりしぼるとともに、接客や先進施設などの研修を継続的に実施しながら、歴代の社長、従業員の努力により今日に至っている。また、じょんのび村による地域への波及効果は、年間約5億円程度と見込まれる。温泉の楽寿の湯は、村人も一緒に入る出会いの湯で語らいが癒してくれる。
2010年度の入込客数は約15万人、売上高2万7500万円、当期利益1000万円となっている。
●サテライト施設「かやぶきの里」づくり
都市住民と交流を図りながら、集落の活性化を目指して、公設民営のかやぶきの宿(門出かやぶきの里、荻ノ島かやぶきの里)を整備し、それぞれ集落住民が出資して、門出ふるさと村組合、荻ノ島ふるさと村組合を創設し運営している。村人と山野菜料理が魅力。両施設ともリピータ率が約七割と非常に高い。
このプロジェクトは、地域の合意形成の段階で、首長選挙の争点になったり、サテライト施設の地区において集落を二分するような話し合いを経てスタートした。高柳の人らしい、真剣に心配してくれた姿がそこあった。そして結果として、このプロジェクトは高柳人の底力を引き出して、今日まで継続しているのである。 二つの宿の10年度入込客数は約2400人、売上高1600万円、当期利益20万円となっている。

荻ノ島かやぶきの里で、都市住民と一緒に秋祭りを楽しむ
(二)地産地消の推進
地産地消の取り組みも比較的長く、1988年度から町とJA高柳(現在はJA柏崎高柳支店)、高柳商工会、農業生産者などが協働して、素材の良さを活かした商品開発を重ねてきた。素材力のPRとして行ったふるさと便、特産菓子の販促、ブランド米、生切り餅、健康茶、漬物、そば、雑穀類、じょんのび野菜などである。年間販売額は概ね1億円程度と見込まれる。
また、90年度から生産農家とJA高柳、学校が連携し、「米・野菜・伝統食」による豊かな食育の推進に取り組んでおり、92年度には学校給食の優良校として文部大臣賞を受賞している。
これまで、行政側から持ち掛けた事業は、金の切れ目が事業の取り止めに繋がる。しかし、自分がやりたい事業は、困難な状況に直面しても粘り強く打開策を模索しながら取り組んでいる事例が圧倒的に多い。
地域の住民が1つのキッカケから主体的な「実践スイッチ」が入ることを何度も体験した。いったんこのスイッチが入れば、脳の回路が形成されて、主体的、かつ持続的に知恵とエネルギーを大いに発揮するのである。
住民一人ひとりがかけがえのない過疎地域にあっては、極めて有用な手段であり、地域住民に「実践スイッチ」を自ら入れてもらうためにも、この「場づくり」と「機会づくり」を継続して取り組んでいくことが大切だと考えている。
25年前から始まったじょんのび高柳づくりは、「自分たちの生き方、暮らし方」を再認識させ、小さなブランドづくりとともに地域の自信と誇りを再生した。そして、地域内外から沢山の共感をいただくことができた。さらに、新たな風が起こりつつある。じょんのびの風土を生かして、自分の生き方と働き方を一致させ、小さなブランドにして生業を営む人々が着実に増えてきている。
具体的には、I・Uターンの方々が移住後に起業した国産小麦・地元野菜使用のパン屋、地域食材を楽しくアレンジした農村食堂、柏崎産のメギスの出汁にこだわったラーメン屋、、越後上布のからむし(青麻)ギャラリーなど、枚挙に暇がない。
一方で、地元住民も奮起し、地元食材をふんだんに使用したお母さんたちの弁当屋や、荒廃農地を再生し地蕎麦を復活させた蕎麦屋などが、県内外から注目され、相乗的に効果を挙げている。地域の食への理解が深まれば、自然と消費も地域のものを優先していく土壌が育ってくる、そんな思いを強くしている。
農山村は、住民の知恵と共同体の結束力で長い歳月をかけ自然と折り合いながら生産と暮らしの環境を築いてきた。そして、その過程のなかで生きるための豊かな知恵と文化が蓄積されてきたのだ。人と自然、人と人の関わりの密度が極めて高い地域といえる。
じょんのびは、「情の地域」そのもの。自分たちの知らない価値がまだまだ無数にあり、いよいよ「情の地域」の時代が来たと感じている。
春日 俊雄 かすが としお
1951年生まれ。新潟県柏崎市高柳町(旧刈羽郡高柳町)出身。74年より行政マンとして大阪府松原市役所、新潟県刈羽郡高柳町役場、柏崎市役所に勤務。82年頃から地域づくりに興味を持ち、88年から本格的に地域づくりに取り組む。住民と行政による協働活動や住民の生き方、働き方、小さなブランドづくりによる農山村滞在型交流観光プロジェクトで地域活性化や自信と誇りの再生に取り組む。
荻ノ島ふるさと村組合
1993年に念願の荻ノ島かやぶきの宿「荻の家・島の家」が公設で整備され、これを管理運営するために地区住民が出資して設立した組織。日本の原風景として大変貴重な茅葺環状生活集落の一角に宿があり、ふるさとの心地良さを満喫してもらうとともに、婦人部が地元で採れた旬の山野菜や塩蔵で滋味の増した地料理を囲炉裏端で提供して好評をいただいている。ご飯は、しっとりとして甘みが強く大人気。
AFCフォーラム2012年1月号